攻防編の最後、フジHDは臨時株主総会の基準日を1月18日に設定し、防衛策を発動するかどうかを株主に問う構えを見せていた。村上側は議決権17%超を握ったまま、両者は次に控える総会をにらんで膠着していた。
ところが、その総会が開かれる前に、局面は大きく動いた。動かしたのは、フジHD自身の財布だった。
2月3日、フジHDの一手——2350億円の自社株買い
2026年2月3日、フジHDは発行済株式の34.37%にあたる7100万株・2350億円を上限とする自社株買いを決議した(取得期間は2月4日〜3月31日)。あわせて、都市開発・観光事業への外部資本導入の検討開始、純利益予想の上方修正、大幅な増配——株主還元を一気に厚くする方針を打ち出した。
そして同じ2月3日、村上側はこれに呼応する。野村氏が12月にフジHDへ提出していた大規模買付の趣旨説明書を取り下げ、自社株買いに応じて保有株を売却することで合意した。この趣旨説明書はEDINETの大量保有報告書ではなく、防衛策の手続きとしてフジへ出され、適時開示で表に出た書類——攻防編の「二つの川」でいえば、フジ側の流れに属する。攻防編で「次の局面へ」と引いた一手は、ここで撤回された。
しかも、この合意は単なる売却ではなかった。フジHDの臨時報告書によれば、契約には保有株の売付に加えて、村上側が議決権や株主提案権などの株主権を行使しないこと、買い付けられなかった残り株式も速やかに市場で売却すること、決済まで新たに買い増さないこと——いわば活動の停止までが盛り込まれていた。攻める側は、売って退くだけでなく、活動そのものをたたむことまで契約で約束した——少なくとも、契約の文言の上では。
防衛策をめぐる攻防は、矛を交える前に——フジHDの自社株買いという「出口」を双方が選ぶことで、決着へと向かった。
2月10日、二通の変更報告書——頂点と退場が同じ日に
その帰結は、2月10日にEDINETへ二通同時に提出された変更報告書に、くっきりと刻まれている。
1通目(義務発生2月3日)は、17.95%。攻防編の17.33%からさらに0.62ポイント上積みした、このキャンペーンの最高到達点だ。奇しくも、そのピークが記録された2月3日は、村上側が売却に合意したまさにその日でもある。
2通目(義務発生2月5日)は、17.95%から一気に4.34%へ。わずか2日で約13.6ポイントの減少だ。頂点と退場が、同じ日に提出された2通の報告書に並んでいる。
「短期大量譲渡」——出口では「誰に・いくら」まで残る
ここが、撤退編の教材フックである。
通常の変更報告書は、保有割合や取得・処分の状況を淡々と記すだけだ。だが、短期間に大量に売った場合には、特別な開示が上乗せされる。「短期大量譲渡」と呼ばれるルールだ。
該当の条件はこうだ。報告義務発生日時点の保有割合が、直前60日間の最高保有割合の2分の1未満となり、かつ最高から5%を超えて減った場合。二通目はこれにぴたりと当てはまる——17.95%の半分(約8.98%)を下回る4.34%まで、13.6ポイントも落ちている。
このとき提出者は、通常様式の「最近60日間の取得・処分の状況」に代えて、「譲渡の相手方及び対価に関する事項」を記載しなければならない。つまり、誰に、いくらで売ったのかが、EDINETに残る。村上側がフジHDの自社株買い(東証の立会外買付取引、ToSTNeT-3)に応じて売却した——その相手方と対価が、報告書から読み取れるのだ。
買い増しは1%刻みで足跡を残し、撤退は売却先まで残す。入口の「名義の二重構造」、攻防の「二つの川」、そして出口の「相手方」——このキャンペーンは、最初から最後までEDINETと適時開示に刻まれ続けた。
退場は、共同保有者そろってのものだった。攻防編で買い増しの主役を担った面々が、ここでは横並びで降りている。野村氏は8.64%→2.09%、エスグラントは4.70%→1.14%、シティインデックスファーストは4.61%→1.12%。それぞれ1%強を残して、足を抜いた。
撤退後の地図
結果として、村上側の保有は17%超から4.34%へ。約13.6ポイントの後退だ。
そして思わぬ余波が、議決権の地図を塗り替えた。自社株買いで総議決権数が減ったことで、これまで動いていなかった東宝の議決権比率が8.95%から12.78%へと相対的に上昇。東宝が議決権ベースの筆頭株主に立った。フジHDは、村上側が残る株式もすべて売却したことを確認できれば、防衛策を撤回する方針だという。
この決着には、市場で賛否が割れた。発行済株式の3割を超える自社株買いに対し、別のアクティビスト(米ダルトン・インベストメンツ)からは株主の利益にならないとの批判が上がり、一部の専門家からは利益供与を疑う声も出た。評価はなお定まっていない。
「決着」のあとに
もっとも、これできれいに終わったわけではない。本稿執筆時点の2026年6月まで、対立はなお尾を引いている。
2月の合意は、その解釈をめぐって両者で見解が分かれた。村上側は、議決権を行使しないとした合意の射程について「見解が異なる」との立場を取り、別の投資会社ATRA(アトラ)を通じてフジHD株を買い増す。4月中旬には1.54%を保有し、大株主として再浮上した。3月には、村上系ファンドがフジHDの不動産事業を3500億円で取得する意向を表明している。
6月、フジHDはATRA保有分の議決権行使を禁じる仮処分を東京地裁に申し立て、いったんは認められた。その後、村上側が議決権を行使しないと誓約したことで申し立ては取り下げられ、結局、村上側がこの総会で議決権を行使しないことが事実上固まった。
2月の自社株買いは、終止符ではなく、ひとつの局面の決着にすぎなかった。
三部作を終えて
2025年4月3日の新規5.19%から、2026年2月の4.34%まで——約10か月。村上側のフジHDをめぐる動きは、入口の名義、攻防の防衛策、出口の相手方まで、すべて公開の書類に記録された。
最後の契約書にも、その構図は残っていた。売却の当事者として名を連ねた村上氏は、しかしフジHDの株主名簿には載っていない——参入編で見た「提出者≠実質保有者」の名義の二重構造が、撤退の局面でもそのまま顔を出していた。
ニュースの見出しが「対立」「決着」と報じる、その裏側で、EDINETと適時開示は淡々と数字を刻み続けていた。二つの川を最初からたどっていれば、村上氏とフジHDの十か月は、見出しを待たずに、私たち個人投資家の手元で追えたのだ。
そしていま、ATRAという新たな器による買い増しも、議決権をめぐる攻防も、同じ二つの川に記録され続けている。物語が続く限り、書類もまた残り続ける。
(村上グループ/レノ × フジ・メディアHD 三部作・完。ただし、物語そのものはなお続いている。)